3.仏教で幸せになる! 中道=真理にいたる王道

中道は王道

さとりはここから

仏教は中道の精神を重要視し、真理にいたる大道と見ますが、それは物事を成就させる王道でもあります。

それはなぜか、エピソードを仏典からたどってみます。

富裕層から苦行者へ

ふれ幅の大きい人生

生まれついての富に美しい妻、子どもまで出来た何不自由ない王子様の生活から、29才で出家後、ブッダの苦行は熾烈を極めました。

1日1食、2日に1食、半月に1食、あるいは野菜のみ、キビのみ、木の根や果実を食べて暮らしたりしたあげく、小食により頭皮に皺がよった、お腹の皮に触れたら脊柱に触れた。(マッジマ・ニカーヤ)

—パキスタン・ラホール美術館の苦行するブッダ。

http://www.columbia.edu/itc/mealac/pritchett/00routesdata/bce_499_400/thebuddha/fasting/fasting.html

苦行をすてる

6年の過激な苦行を経たブッダは、悟りの土台である体を痛めるのは、涅槃への道ではないと悟ります。

苦行で疲れた体を休め、ニーランジャー河で沐浴をするブッダの存在を聞きつけた篤信(信仰心の篤い人のこと)女性スジャータが、ブッダに乳粥を施します。

http://www.hoalu.it/buddha.htm

すべての欲を満たす生活も、苦行もダメ

両極を離れる中道が「さとり」

スジャータの乳粥で体力を回復したブッダは、菩提樹の樹の下で結跏趺坐し、瞑想をはじめ、ついに35才で悟りを開きます。

http://www.dakiniunlimited.com/bodhgaya.html

この時の瞑想が、現在も東南アジア圏に伝わる「ヴィパッサナー瞑想」といわれています。

仏教の瞑想法

仏教には大きく分けて二つの瞑想法があります。

サマタ瞑想(止)

一点に集中する力を養う。精神集中、統一。座禅のイメージ。

ヴィパッサナー瞑想(観)

最古のタイプの仏教(上座部仏教)に伝わる。サマタの集中力を維持しつつも、心を開いて「身体の感覚や思考もふくめ、いま自分に起こっていることすべてに気づく」

スリランカやタイのお坊さん(と仏教信者)はみな、この瞑想を行います。リトリートと言われる合宿も盛んで、欧米や日本などからも沢山の人が参加しています。

ヴィパッサナー瞑想の目指すところ

目覚めている人

体験者の話や本によれば「無常、無我」が理屈抜きに理解できることは間違いなさそうです。

無我とは「あらゆるものが我でない」という意味です。この世のすべては移り変わり、自分の感覚や思考も同じ。本当は自分のものは何もない。

本当にそれが見える体験をすると、自分の「思い込み」や「こだわり」のバカらしさが全部わかってしまい、そこに執着する気持ちがなくなる…。

ちなみにブッダとは、インドのサンスクリット語(梵語)で「目覚めた人」という意味です。

ヴィパッサナー瞑想の効果

効果は確実にある

本当ですかといいたくなりますが、毎日練習している人に効果があることは間違いありません。講座に通いだして5年目となり、沢山の人を見てきましたが一日10分でも続けていた人は確実に変わっていました。

怒りっぽかった人が、えっと思うような穏やかさを獲得したり、疑い深い性格の人が明るくオープンになったりするのを何人も見てきたので、根気強く行えば必ず効果があることは疑いません。

私は恥ずかしながら、お稽古の日にしかやらない怠け瞑想者なので、自分の体験を語れず申し訳ありませんが…。

ブッダの「成道」は、普通の人間が生理的に可能な体験だったのではと思っています。

梵天勧請(ぼんてんかんじょう)

http://buddha-smile.tumblr.com/post/201865323

東寺の梵天座像。国宝。

伝道を迷ったブッダ

我執まみれの世間の価値観とあまりにも違いすぎるさとりの内容に、ブッダはこれが理解される筈がないと暗澹たる気持ちになったようです。

苦労してわたくしがさとりを得たことを、いま説く必要があろうか。貪りと憎しみにとりつかれた人々が、この真理をさとることは容易ではない。これは世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で見がたく、微細であるから、欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ。

ここに梵天が登場し、ブッダに伝道を勧めます。

尊い方!教えをお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ退歩しますが、(聞けば)真理をさとる者となりましょう。

(サンユッタ・ニカーヤ)

ファンタジックな展開ですが、こうしてブッダは自分のさとりの方法を人々に伝えていく決意をします。

中道とは

足して2で割ったものではない

ブッダが王侯貴族の暮らしから、飢死したと仲間に言わせるほど過激な苦行者になり、その後に乳粥を受けとって、さとりを開いたエピソードは非常によくできています。

これは単純に足して2で割るのではなく、一度、両極を見ればこそ解るという意味ではないでしょうか。

世の中にそういう例はいっぱいあります。時代の寵児ともてはやされていたのに、急降下して塀の中に入る。逆に下積みの長い苦労を経て大成功する。

そういう経験をしてはじめて、一番いい生き方が身にしみて理解できる。中道とはそういう大変な労力がいるもののように感じます。

極端さにとらわれない心

琴の弦のたとえ

中道の例えには、仏弟子ソーナのエピソードがよく出てきます。

まじめで修行をやりすぎるソーナに、ブッダが琴の弦が張りつめすぎていても、緩過ぎていてもよい音が出ないことを話し、中をとる大切さを説いたという。

資格取得、ダイエット、自己啓発の王道

経験からダイエットもそうだと思います。

一時期がむしゃらに運動したり、食べ物を減らせば、あっという間に体重は減りますが、あっという間にリバウンドします。極端な実践の過程で心を病み、私のように摂食障害になる人も。

そういう失敗を散々し、食べたいものは食べつつ少しの運動を続ける、1ヶ月に1~2Kg痩せるような、落ち着いた実践が結局、一番いいことがわかってきます。

いまの1歩を喜ぶ積み重ね

もっとも賢明な人は最初から、無理のない計画を立て淡々と進めます。つまり賢明な人とは、欲が深すぎない人で、非常に現実的でもあります。

いきなり痩せたい、いきなり金持ちになりたい、いきなり頭がよくなりたい。そういう欲を持たない人。(笑)

欲張らないことのほうが、がむしゃらに頑張るよりずっと難しいかもしれません。

まず幸せになってください

http://www.dancemission.com/gl_photos.html

「まずは幸せになって下さい」

ヴィパッサナー瞑想インストラクターの地橋秀雄先生の口癖です。

世間的な意味で幸せになる、つまり金銭、伴侶、子ども、地位などあらゆる欲しかったものを手に入れ、それでも満たされないと気づいて初めて、仏教のよさが解るというのです。だからまずは幸せになって下さい、と。

そうだろうなあ、と思います。(私のような凡人は)

実は仏教は、世間的な意味で幸せになる(haveを増やす)のにも十分使えるものです。

その方法もここで共有していきます。