仏教のモノの考え方
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業(カルマ)
生まれによって〈バラモン〉となるのではない。生まれによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。
スッタニパータ 650
悪業を減らす
仏教には「業」という考え方があり、身(身体)口(言葉)意(想い)のすべてで業が作られ、そのエネルギーで人生に起こることの結果が変わってくると考えます。
つまり、いい人生を送りたかったら、悪い行いはやめて、いい行いをしましょうというのが、「諸悪莫作、諸善奉行」です。
「陰徳を積む」(例えばだれも見ていない場所で、ゴミ拾い、掃除の善行をする)と、その業はちゃんと別の所で還ってきます。いい「業」を作り、その見返りとしての「褒め言葉」「賞賛」などを消費しないのがポイント。
さんざん実験しましたが、これは本当にそうなので、やりだすとやめられなくなります。詳しくは、「布施」のところでお話します。
解脱の教えと生天の教え
最初は出家者へ
そもそもブッダの初説法は5人の修行仲間に説いた(四諦・八正道)とされるように、仏教はまず出家者に対しての教えでした。
ブッダを病院長に例えると、苦しみをなくしたい(解脱し、この世に生まれ変わりたくない)と願う、治療以外すべてを捨てた本格的な入院患者が出家者。
いっぽう解脱は無理でも、せめて来世で輪廻世界の特等席(天界)に生まれ変わりたい(生天)と願う通院患者が在家信者でした。(輪廻世界…下から地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)
作者:白仁成昭 (著), 宮次男 (著)
出版社:風濤社
発売日:1980/08
メディア:絵本
努力目標を在家者へ
そのように出家者と在家者では、修行のゴールが異なるため、ブッダはそれぞれの患者に別の処方箋を出しました。
出家者向きには四諦・八正道。
在家者向きには仏教の理想を示し、そのための努力目標として、五戒を与えます。
つまり生天を願う在家信者は悪業をなさずに善業を積めばよい。単純ですが、それがブッダの教えでした。
作者:西川 隆範 (著), 桝田 英伸 (監修)
出版社:風濤社
発売日: 2009/06
メディア:絵本
仏教の理想
悪を避け、善をなし、心を清くする
諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪をなすなかれ
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) ― もろもろの善を奉行せよ
自浄其意(じじょうごい) ― 自らその意(こころ)を浄(きよ)めよ
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― それが仏教だ
(七仏通戒偈)
在家の五戒
五戒
- 不殺生戒 あらゆる生き物を殺さない(ように心がけよう)
- 不妄語戒 うそをつかない(〃)
- 不偸盗戒 与えられないものを盗まない(〃)
- 不邪淫戒 みだらなセックスや、不倫をしない(〃)
- 不飲酒戒 酒を飲まない(〃)
五戒を「なるべく守ろう」と心がけるだけで、悪い業を作ることは難しくなります。つまり戒を守ることは、幸せな人生づくりのベースになります。
五戒は守りの強化
私は小学校の先生でもお坊さんでもありません。単なる一人の元アル中女です。これは道徳で言っているのではなく、本当だったので伝えたいのです。
会社で経営改善というとき、①まずコストを削減し、②新規顧客開拓、好調事業へ注力 などの投資を積極的に行うと思います。
ここでいう五戒を守ることはコスト削減に当たります。無駄な支出を減らす(悪い業を作らない)ということ。幸せになりやすい体質というものはあります。その意味で五戒(を守ること)は、攻めと守りでいうと守りに当たります。
五戒を破る例
不殺生…生き物をなるべく傷つけない。殺さない。
戒を破る例
- 食事に感謝しない。残す。(殺生の結果が、様々な協力を経て食卓にある)
- 蚊やゴキブリを殺す。(私も蚊を叩かないように努力してます…)
- 弱い立場の人や生き物をいじめる。(部下、下請け業者、子供、年寄、動物など)
不偸盗…与えられていないものを取らない。
戒を破る例
- 一人だけ待ち合わせに遅れる。(他の人の時間を盗む)
- 会話を許可なく盗み聞きする。(与えられていないものを盗む)
- 経費で買われたものを無駄に使う。(文房具から税金まで)
http://www.ashinari.com/2012/03/04-358611.php
不妄語…うそをつかない。
戒を破る例
- 自分にも他人にもうそをつく。(自分に対するウソのほうが、実は深刻)
http://www.ashinari.com/2009/07/23-025249.php?category=266
不邪淫…不倫をしない。
ひろさちや先生の定義にはその上「みだらなセックスをしない」とありましたが、どんなセックスならみだらじゃないのか。。^^;
仏教の精神は中道なので、あまり極端な方向へ行かないセックスだろうと私は思っています。
余談ですが
お坊さんは、本来妻帯しないものです。
妻帯(夫帯)する坊さんは、日本では自然な存在ですが、古来仏教のアイデンティティーともいうべき一番大事なもの(執着を離れる)から遠く離れた姿ではあります。
元々、家を出るから「出家」なワケで、本来、妻(夫)を持ちたければ在家信者として存在する。上座仏教の国々では今でもそうしています。(結婚したい女性が出来たら還俗するなど)
若いうちから不邪淫戒を守る(破った時、在家はペナルティーがないが、僧はある)。それを真剣に考えると、出家とは本来、狭き門だったと思います。
不飲酒…酒、麻薬など、酩酊するものを摂らない。
戒を破る例
- 飲酒、麻薬(覚せい剤、ヘロイン、シンナーから、脱法ハーブまでいわゆる麻薬全般)
理由は理性がなくなる(=悪いことをしやすくなる)からで、依存性薬物に類するものはすべて×と思ったほうがいいです。
http://www.ashinari.com/2012/07/01-364485.php?category=438
悪業を減らす
自分のために守る
日本では坊さんすら酒を飲むことにタブーがないことが多い。最初は在家の私が酒をやめることに何の意味があるのか解りませんでした。
しかし永続的な幸せを得たければ、やはり大きな意味があったのです。
悪い業でもいい業でも、作られれば人生でまったく同じものが返ってきます。例えば不倫が終わったり、酒飲みが酒を控えたりすれば、人生からそれだけトラブルが減ります。
私はアル中だったので、これは実感しています。お金、時間、体力。すべて酒をやめて戻ってきたものです。もちろん、酔って起こすトラブルとも無縁になりました。
つまり戒とは自分のために守るものなのです。
完璧を目指さない
中道の精神で
そもそも食事は植物や動物の命を奪って成り立つので、どんなベジタリアンだろうが、戒を破らずには生きていけません。
戒とは破らざるを得ない自分を知り、他人を許すためのものだと、ひろさちや先生は書いておられますが、私はこの考え方に共感しています。
戒は「幸せになりたければ守る(守ろうとする)もの」であります。
仏教の根本精神は「中道」なので、五戒を守る状態にも、死に物狂いではなく、のんびりとした努力で近づいていくものとも書いておられます。
戒と律の違い
戒と律の意味
戒律という言葉の、戒と律はそれぞれ意味が異なります。
- 戒…それを守ろうとする自発的な意思
- 律…それを守らせる他律的な強制
戒
在家信者向きの五戒は、破ったからといってペナルティーが与えられるわけではない。というか、破らざるを得ない。それが前提で与えられている「努力目標」。
律
出家者にとっては、戒だけではなく律が課せられています。男子の修行者である比丘(修行僧)には280戒、女子の修行者である比丘尼(尼僧)には348戒が与えられ、これらの戒には罰則規定が伴っている。
出家者は教団(サンガ)を作って団体生活をしているため、最小限のルールが必要であり、それが戒律です。
まとめ
それぞれの処方箋
ブッダはゴールの異なる出家者と在家者に向け、それぞれ異なる処方箋を出した。
出家者には四諦・八正道を、在家者には、仏教の理想に近づく「努力目標」の五戒を説いた。
仏教の理想…諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意(悪を避け、善をなし、心を清く保つ)
五戒を守る(守ろうとする)と悪業が減るので、人生に悪いことは起きづらくなる。
↑ここ、ポイントです。
最近、嫌な事ばかり起きるという方は、ちょっと気を付けてみて下さい。他人に嫌な思いをさせないように努力していけば、それに応じて嫌な目に遭うことは減っていきます。
在家の五戒
- 不殺生戒 あらゆる生き物を殺さない(ように心がけよう)
- 不妄語戒 うそをつかない(〃)
- 不偸盗戒 与えられないものを盗まない(〃)
- 不邪淫戒 みだらなセックスや、不倫をしない(〃)
- 不飲酒戒 酒を飲まない(〃)
参考にした本
仏教説話大系 (40) 仏陀の教え
著者:仏教説話大系編集委員会 (編集)
出版社: 鈴木出版
発行:1986/07
メディア:単行本