幸せへの王道 = Give (布施)
幸せへの攻め
でお話しした「五戒」が幸せ体質づくりの守りだとしたら、こちらは攻めになります。
企業経営や、家庭の収支と同じで、経営状態を改善したければ、コスト削減だけでなく、積極的に収入を増やす努力をしなくてはなりません。守りと攻めはどちらも必要な車の両輪です。
布施というと今の日本では、お坊さんにお経を読んでもらった時の謝礼としての意味しか思い浮かべないかもしれませんが、本来は「施し与えること」全般を指します。
布施は面白い
この世の仕組みは超シンプル
仏教を学びだして身をもって体験し理解したことで、不思議なことも面白いことも数多くありましたが、布施はその最たるものです。やりだすと面白く不思議で感動し、癖になります。
なぜか。結果がすぐ出て解りやすいからです。しかも、その内容が絶妙。
例えるなら、天に向かって買い物している感じでしょうか。5000円なら5000円分、自分では絶対に想像も実現もし得ないベストな内容でその対価はやってきます。
因縁生起の教えは本当だとわかりました。(「いいことをすればいいことがある」逆もしかり)この世の仕組みが本当にすごくシンプルなんだという事が、実感として理解できます。
この世は、いいことも悪いことも、本当に自分が発したものだけが返ってきます。
自身の体験からお話すれば、「何となくそうなんじゃないかと思う」レベルから今では「確信」に変わりました。
これを本心納得できると、「正直者がバカを見る」なんていうことはないともわかり、本当に安心できますよ。
正直者はバカを見ない
夢違観音。法隆寺で完成美に驚いた。国宝。
http://atelierrusses.img.jugem.jp/20100717_709663.jpg
悪を避け善をなす人は無敵
例えば今、何かに絶望しかけている人でも、この事を覚えていれば必ずいいことはあります。焦ったり思い詰めて悪事を働くなんてことは間違ってもしないで下さいね。仏さまは本当に全部見ています。
時に非情とも思えるやり方をすることはありますが、基本、私達は仏に(宇宙に)愛されています。乗り越えられないことも与えられません。今まであった辛い悲しいことほど、「早く間違いに気づけよ」や、「慈悲」でした。ものにより、そう思うのには時間もかかりましたけど。^^;
ここでは、布施の概要をお話します。ぜひ実際に試してみて体験し、本当なんだと実感して理解し、善を積み幸せになってください。
やってみてどうだったか、具体的なエピソードや体験は次でお話します。
財施、身施、法施
布施の種類
財施…金品などを差しあげる。(寄付全般)。
身施…身体を使ってお役にたつ。(重いものを持つ、車椅子の乗車を手伝うなど)。
法施…法を説いてあげる。(正しくて有益な情報を教えてあげる、に近い)
財施
額はともかく、一番、手軽にできるお布施だと思います。
(ここでいう布施は、お坊さんへのものではなく、日常シーンで考えています。)自分が素直に共感できるもの、気持ちよく出せるものに対して行うのが一番いいと思います。私の趣味はやっぱり、弱い立場の人や生き物に対してのものです。
虐待被害児のホットラインとか、児童労働根絶の支援団体とか、盲導犬関連、動物愛護団体などなど。見返りは、勿論、すべて天からお蔭様でありがたく戴いています。見返りを求めてすることじゃないんですけどね。(恥)
コンビニの募金箱に、小銭を入れるのも、身からあえてお金を放すいい訓練になります。
身施
掃除のボランティア、介護のボランティア、報酬のない技術ボランティアなど
身体を使う分、財施より尊い感じです。身施を繰り返していると、人手や協力に困らない人生になるようです。お金だけあっても、人の手がなければどうしようもないこともありますよね。
法施
元々は、お坊さんがお釈迦様の教えを在家の人に説いてあげたことを指しますが、現代へ置き換えればそれは情報です。情報のお布施。
これを知ったらみんなの役に立つな、と思うことほど、惜しみなく出してしまう。自分が知っていて、他人の役に立ちそうなことを、どんどん外へ流す。教えてあげる。それでも、自分の持っているものが減ったり、損することはありません。
価値ある情報ほど感謝され、あなたの価値は上がります。
そして、必ず自分の所に、別のいい情報(自分が流したものと等価値の)が入ってきます。
布施について 実感
「いいことをすればいいことがある」は本当かどうか、試してみようという気持ちで始めた「布施、善行」でしたが、やればやるほど本当なんだ、と解ってきて、むしろ困った時ほど、お金でも、情報でも、自分から外へ出すべきなんだと思うようになりました。
お金持ちほど財団を作ったり、寄付をしているのは、その方が運がよくなったり、悪いことが起きなくなる(永続的に繁栄が続く)事を経験的に解っているからでしょう。その意味で、よく成功本に書いてあることは正しいです。
「豊かだから与えるのではない、与えるから豊かになる」内観創始者の吉本先生の義理のお母さんの、森川りうさんの言葉は本当です。
善行についての疑問
見返りを求めて行ってもいいの?
いいことをすればいいことがあるからと、「確実に見返りがあると解っていて行う善行(いいこと)ってどうなの?」多くの人が抱く疑問だと思います。当然ですよね。私もそう思いました。
生活の中での仏教の活かし方を教えていただいている地橋先生によれば、それで全く問題ないそうです。
まずは、そんな気持でもいいからやる。
繰り返すうちに心がついてくる。どんな善でもしないよりはましとのことです。私も実感しています。だんだん、席を譲ったりすることも、繰り返すと自然に出来るようになってきます。単純に慣れです。ニコニコしながら譲ると、譲られる方も安心できるんだなって覚えたり。
劣善、中善、勝善
http://www.viewzone.com/buddahyearx.html
善行のランク
勝善…見返りを求めない、まっさらなきれいな心で行う善行。
中善…自然に行う善行。
劣善…下心があり、見返りを求める心で行う善行。
劣善でも善は善。むろん、勝善の心で行えれば最高ですが、最初からそんな人は中々いません。(いることも知っていますが)
私自身恥ずかしいほどの劣善者なので、この言葉はこよない慰めとしています。
何度も言ってすみませんが、劣善であっても、見返りはホントにあるもんだなあ、というのも実感です。善は行わないより行う方がはるかにいいです。幸せになりたいと思ったら善行を積む。具体的には、あらゆる方法で布施をすることです。
無財の七施
お金がなくても、できる布施
これを最後にしたのは、難しいからです。(笑) 単にお金を出すより、笑顔になったり、温かい目で人を見てあげたりする方が、ずっと難しくありませんか。私は、そうなのです。。
逆に言うと、お金がかかっていない分、心や気遣いはかかっていて、ちゃんとできればその方がずっと尊いと想います。本当はお金より心の方がずっと尊いから。
1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する
2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する
3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する
4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する
5.心施(しんせ) 他のために心をくばる
6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る
7.房舎施(ぼうじゃせ) 自分の家を提供する
別に仏教にも何の宗教にも興味がなくて、それでもこういう事がごく自然にできてる人っていますよね。そういう人は人気者だったり、皆に話しかけられたり、頼られたりしています。布施などと思わず布施できている人を菩薩というなり。
昭和の高僧、友松圓諦師は「仏教って何?」と尋ねられ、「打算のない心」と答えられたと新保晃妙尼が下記の本に書かれています。
「打算のない心」…。私には、遥か遠い話ですが、それが本物(勝善)の仏教の心だろうと思います。
打算のない心とは
作者:山口 敦子
出版社:うらべ書房
発売日: 1993/03
メディア:単行本
比叡の光(晃妙尼のインタビュー。晃妙尼は、バーのママで有名だった方です)