1回目 体験後

変化していた自分

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感慨はまったくなかった

生まれて初めての集中内観は、こんな経験もしてみたな、くらいの感想で、正直何かが取り立てて素晴らしいとも感じられず、「それなりに大事なことだと思うが、今後また自分がすることはないだろう」程度の思いでした。(!)

この頃の自分を思い出すと、本当に何も解っていなかったと思います。

しかしそうはいっても思わぬことがありました。

復縁

letter

当時、私には理由も告げられないままふられた交際相手がいました。内観後はその彼に対し、交際中に自分が悪かったことに気がついたので、彼にそのことを詫びる手紙を送ったところ、すぐ彼から連絡があり、よりが戻ってしまったのです。^^;

しかしその後すぐ、今度は私から、嫌になって離れてしまいました。

その恋愛はそんな結末でしたが、「内観的なモノの考え方をすると人間関係に良い影響がある」ことだけは記憶に残りました。

配慮を覚える

お恥ずかしい事ですが、それまで私は本当にまったく「自分が他人に迷惑をかけている可能性」を意識せずに生きてきたのです。

「相手がどう思うか」に配慮する癖がまるでついていませんでした。でもそれからは、椅子をしまって席を立つなど、当たり前のことを心がけるようになりました。

結婚願望の理由

結婚したかった理由は、自分自身に絶望しており自分にはそのくらいしか生きていく道はないだろうという後ろ向きの動機でした。(相手の男性には、本当に申し訳ないことです)

何もかもうまくいかない人生に嫌気がさし、将来の夢などかけらもなく、失っていく若さに焦りだけが募り、働き続ける意欲もなく、30才が近づいてくる…。逃げ道は結婚しかない。

28,9才の頃、私は本気でそう思っていました。価値観が本当に狭かったのです。誰かを打算なく愛するという感情も知りませんでした。

そんな思いの行動がうまくいくわけもなく、その頃の恋愛はすべて悲惨な結末を迎えました。2件は普通じゃないレベルのトラブル(訴訟騒ぎと脅迫)になり、内観後、よりを戻すも1件は落胆。どれも結局、私から嫌になり逃げだしました。

他力

この「復縁したが失望」事件を機に、ようやく「男に依存して生きる」という執着がさすがに薄れました。うまくいかな過ぎて、(やっと)疲れたのです。

気づいたらあれほど怖れていた30才もいつの間にか超えてしまっていました。

そしてこの頃、知り合った僧侶の藤川和尚※との交流に、誘われるまま時間を割くようになり、思いがけない仏教との縁が深まっていきました。

(※故人。地上げ屋を経てタイで出家し、上座部仏教僧侶となる。出家後は10年間タイに滞在し、帰国後は亡くなるまで、国内外を回って悩める人に法を説き続けた。享年68)

タイでオモロイ坊主になってもうた

作者:藤川チンナワンソ 清弘 (著)
出版社:現代書館 (2003/05)
発売日:2003/05
メディア:単行本

 

2回目 体験前 に続く