藤川和尚さんのこと
—市ヶ谷経済新聞より。
私に仏教を教えて下さった方です。亡くなるまで3年間交流させていただきました。
私が続けている習い事の上座仏教の瞑想「ヴィパッサナ瞑想」は最初にこの方に教えて頂いていました。
卒業旅行で出かけたインドとタイが好きになり、旅情報を調べていた時、タイで暮らしていた元地上げ屋の日本人僧侶が帰国するという告知を見つけたのがお会いしたきっかけです。
ちょうど私が内観を知ったのと同時期でした。
始めは高僧だと思っていた
2006年10月頃、四谷区民センターでの講演会が初めてお会いした場所だったと思います。
日本では見慣れぬオレンジの袈裟が迫力あり畏れ多く、私は高僧のような印象を勝手に抱いていました。
講演が終了後、誘われるままにともに飲み会へ、すぐにかなり気さくな人物と判明。
京都訛りで気取ったところはまるでなく、自分の武勇伝やエロ話をする気さくな叔父さんの面と、裏の世界にも親しんだ人の面がありました。
その後、私は瞑想会へ足を運ぶようになって行きました。
深い人間理解
話題の引き出しが多く、タイやアジアの裏世界、地上げ屋時代。(+仏教)話題豊富でした。
お坊さんだけあって相談事を聞いてもらうにはうってつけでしたが、そこに加えて娑婆苦と裏社会を生き抜いてきた人間の知恵が膨大に詰まっていました。
人間理解の深さに感心させられ、年配の人は知恵が一杯だと思いました。
私とは親子の年齢差でしたが、彼が気取らず何でも教えてくれたからだろうと思います。
いなくなって言ってもしょうがないのですが、もっと色んな事を伺っておきたかったと思います。
本当だった「ブッダの弟子」
和尚を通して私はそれまで、まったく興味もなかった仏教、それも南伝の初期仏教(原始仏教)を自然に学んでいく事になります。
食事ひとつとっても、かの地の比丘らしく、布施されたものだけを食べる、昼以降は食べないなど、気さくな外見に似合わない、厳密に戒律に沿った暮らしを心がけておられたので。
新大久保のお住まいにお邪魔した際には少ない持ち物の中、大きな本棚の上から下まで分厚い仏教の本が詰まり、その信心の真摯さ、切実さに秘かに驚かされたものです。
実践なき思想はない
たくさん話を聞かせていただきましたが、実践家だったので難しい内容はひとつもなく、すべて実体験からの洞察がそのまま説法になっていました。
和尚の父親もアルコール依存症で、ご自身が今でいうAC(アダルトチルドレン・大人になった機能不全家庭の子ども)でした。
このサイトは私なりに故人への御礼と共感をあらわすものです。数回にわたり、師の思い出を綴ります。