藤川和尚さんのこと(2)学び(前) 仏教は生きるための教え

多くの出会い

Wikitravelより。タイ・アユタヤのワット(寺)チャイモンコン。

藤川和尚との交流は、主に新大久保の公共施設で行われる瞑想会のほか、全国各地で開催される瞑想会へ、都合がつく時に参加していました。もっとも私が遠出したのは茨城と静岡くらいでしたが…。

和尚のネットワークは広く(全国にmixi友達「マイミク」がいたので)、国内のみならずタイ、韓国、ミャンマーと広く足を延ばされていました。

何をするかというと、初期仏教に伝わる伝統的な瞑想法(2500年前~といわれる)ヴィパッサナー瞑想の実習をします。あとは説法を聞いたり、参加した方と話したり。

瞑想の実習もそうですが、和尚とのことを思い出すと、多様な人との出会いが印象に残っています。思い出すままに書くと、

若い人、年配の人、精神世界に興味のある人、ヨガをやっている人、身体にものすごい障害のある人、若手政治家、経営者、主婦、OL、会社員、出版関係者、仏教徒、マスコミ、学歴エリート、ヘッドハンター、心理系の仕事の人、派遣業者、マルチビジネス業者 etc・・・・。

宗教家はすべての人が客

老若男女、この世の日の当たる部分にいる人、影の部分にいるように見える人、普通の人から普通じゃなさそうな人まで、どんな人にも対応できていたことを間近で見ていましたから、尊敬しています。

出家前は不動産営業を経て独立した経営者であり、人付き合いは全く苦にしていなかったようで、楽しんでいる様子がうかがえました。

新宿歌舞伎町駆け込み寺(現在は日本駆け込み寺)の玄さんにも一度だけこの頃お目にかかりました。この時は新大久保の韓国料理店でのイベントでした。

 

 

玄さんは当日用事があったのか、すぐいなくなってしまいましたが、あとから玄さんの著作活動を知り、この人も虐待被害者(壮絶な)であり、同じ道ゆきであったのだと感じました。

最近神職の知人ができ、改めて宗教家は基本的に全年代全ジャンルの人と関わる仕事なんだと実感します。

いざそれを目の当たりにすると、当然のようにも、すごく特殊のようにも感じます。セグメント分けもマーケティングも必要がない。差別も区別もしない。

生きとし生ける「命」から苦を無くすことを願う存在であれば、その通りなのですが、現実に目の当たりにするとやはり、印象に残ります。

思わずグイグイ引き込まれる内容だが、正視できない描写も。玄さんの過去。壮絶な本。

新宿歌舞伎町駆けこみ寺―解決できへんもんはない

作者:玄 秀盛
出版社:角川春樹事務所
発売日:2006/05
メディア:文庫本

 

 

生きている仏教

瞑想実習が終われば、新大久保の安い居酒屋で色々な人の悩みを聞いたり、答えたり。

当然ご自身は飲まれませんでした。仏教徒には僧はもちろん在家信者であっても守る五戒があり、その中に不飲酒があります。これは実は日本の坊さんも同じなのですが、五戒を守る僧侶の会なんていう活動があるところを見ると、いかに守られていないかわかるというモノ。

その様子は生きた仏教を目の当たりにした思いでした。

私には瞑想会に若い人が多かったのが印象的でした。こんなに悩んでる若い人っているんだな…と。

既に30を過ぎていた私は、好奇心のまま和尚と付き合っていただけでしたが、20代と思しき彼らが続々とお坊さんに救いを求めて集まっているのが驚きで、けっこう、若い人にも仏教は親しまれているのかもしれないと思ったのはこの頃です。

この世から人の悩みが無くなるわけもなく、今思うと当然でした。

怨みを捨ててこそ

突然、地方の瞑想会に参加したこともあります。

その日も私は父親に殴られ、もう今日は会社へ行きたくない!と勤務先に休暇願いの連絡を入れ、その後思わず和尚に連絡したのでした。

「父親に殴られた!」

その日開催の瞑想実習に誘われ茨城まで足を運びました。5月頃で、緑の美しい季節でした。

案内されるまま一行と合流し、快く迎えて下さった方々と美味しい自然食ランチをご馳走になり、広い芝生のある公園内施設で、歩きの瞑想や座りの瞑想を、たくさんの見知らぬ方々に混じってさせていただきました。

静かな瞑想会にふさわしからぬ、内心の怒りがいつまでも収まらない私に、初めてお会いする主催者の方から配られた当日のテキストの文句は、何とダンマパダのこの一節でした。

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの
息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

ブッダの真理のことば 感興のことば

作者:中村 元 (翻訳)
出版社:岩波書店
発売日: (1978/1/16)
メディア:文庫本