お前と俺はそっくりだ
—http://devanshmittal.wordpress.com/2011/11/09/amrapali-and-buddhist-monk/
一度、時間を取って話を聞いて戴いた時のことでした。
相談の内容は今後の恋愛や結婚のことでした。お坊さんであり年配の人だけに、相談事は安心して話せたのです。
自分の家庭環境や、それまでの恋愛で起こったことなどを話し終えると、藤川和尚は、お前は俺にそっくりだ、と呻くように言うのです。
お前や俺には、心に氷があるんだ。
俺もすごく醒めている、でも、この心はどうしようもない。
それを聞いた時、その指摘は当たっている、と感じました。
心に氷がある
和尚と私は心の歪み方が似ていて、すごく醒めた部分が出来てしまっていました。
心が乾いているという表現も近いかもしれません。
和尚は氷、と表現し、私は干からびる、と表現しましたが、どちらも暖かい水で潤っていないというイメージは同じです。
心の中に愛情という名の水がたくさん入って、潤っている人と、そうでない人の心は本当にぜんぜん違うものです。
具体的には、対人関係では相手に冷静に距離をとれます。(というかそれしかできない)相手と親しくなり一時的に流されることはあっても、自分から特定の人間関係にのめり込む、ということがないのです。
のめり込むというと悪いことのようですが、傷ついたり、喜んだり、弾力性があり柔らかい健康な心を持っていたらそうなる事でもあると思うのです。それがない…。
自分で言うのもなんですが、こういう人の人間関係は非常にドライなものがあります。それは彼の自伝にもよく表れていました。
(ちなみに、後年人格障害について知り、和尚と私は典型的な自己愛性人格障害と判明しました)
作者:岡田 尊司
出版社:PHP研究所
発売日: 2004/06
メディア:新書
誰も信用していない
私の場合は20才頃から直観的に、自分の欲しい愛情は、男性からもらえるものではない、セックスの存在しない愛情だ、と心のどこかで気づいていました。(大人になり内観してこれは正しかったことが分りましたが)
赤ちゃんの時に母親からもらいたいような類の愛情だったのです。セックスではなく、安心がほしかっただけ。
凍った(乾いた)心である以上、報われぬ恋愛にのめり込むという事はありませんでした。むちゃくちゃ恨まれるというトラブルはありましたが、それは単に私がひどかったからです。
そんなことを話すと、同じようにACの年下の友達の女の子にかなり覚めてる、と言われました。父親が刑務所に入っていて大変だった子です。
彼女の場合は当時恋愛依存を繰り返し、自分が不幸になるような関係でもやめられなくなっていました。私と同じように心に穴が空いていても、その満たし方は違うようでした。
捨てなければ、今を生きられない
その辺を悩んだ相談でしたが、結局は同病相哀れむ格好になり、解決にはなりませんでした。しかし自分と和尚の心の歪み方がそっくりであることだけは、この時によく解りました。
その後、更にこの本を読み、やっとなぜそのような心になるのかが理解できた時、長年の疑問が解けました。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、幼い頃に心が形成される時の傷がその後も大きな影響で続いていくというのですから…
作者:岡田 尊司
出版社: 光文社
発売日: 2011/9/16
メディア:新書
一方で、彼はとても気配りの細やかな人でもありました。
身内に対するものと、対外的なものが多分まったく違うのでしょう。書きながら、己の一番の欠点を見つめることはつらいものですが、しかし私自身もその通りでした。
内観で心が変わる前に、和尚によく言われたものです。お前の心に引っかかっているもの。そんなもの捨ててしまえ、捨ててしまえ…。
当時はその意味が解りませんでしたが、親への怨みや怒りは沢山心の中に溜めていましたから、和尚からはそれがよく見えたのだろうと思います。
渇愛と慈悲
それでも虐待家庭を生き抜いてきた人だけに、私の気持ちは大変良く理解してくれていました。
私も愛情の薄い家庭を生きてきた人とは、男女の別なく本当に親しみが持てるものです。
帰り道、「愛」と「好き」の話になりました。
和尚は愛と好きとは全然違うものだ、と言いました。その通りだと私も思いました。相手の幸せのための思いと、自分の幸せのための思いは、全く違うものです。
特にその言葉は、それを身を持って苦しみ理解した人のうめき声のように響きました。