お寺が舞台の起業ストーリー
—みんなの寺の作り方―檀家ゼロからでもお寺ができた!天野 和公 (著)
若いお坊さん夫婦(夫34才、妻24才で結婚)が力を合わせて単立寺院(特定の宗派のお寺…言ってみれば○○宗のフランチャイズシステムを抜けて、独立した宗教法人を設立し軌道に乗せるまで)の9年間を惜しみなく綴ってくれたもの。書き手は一貫して奥様の和公さんです。
発表後、全国の「自分達もお寺を作りたい」「僧侶になりたい」等の相談が絶えないらしい。そうだろうなと思う。ふんだんに歴史的遺産や宝物のあるお寺の方がむしろ少ないし、新しい時代にあった経営に成功している例がまだまだ、少ないだろうと思うし。
期待に違わず厚めの本ですが、おもしろくて2時間で読み切ってしまいました。
日本のお寺経営 苦しい現状
お寺の魅力無さが原因
一般的に結構ニッチなテーマ(日本のお寺経営)ですが、関心があり色々類書を読んでいます。大学院では経営を勉強しているのと、現代日本に生きる仏教好きの一人として興味の尽きないテーマのため。
現代日本のお寺を巡る状況は厳しい。多くの人が認めるように既に檀家システムは行き詰まり。直葬(お葬式をせず、直接火葬)も増え。少子高齢化でお墓を守ってくれる人の当てもなくなり。etc.
問題はあげれば山積ですが、在家一般人のから見ると単純に、日本のお寺は一般的に仏教の魅力をうまく伝えられていない側面があるのではという気がしてなりません。
私自身、藤川和尚に出会うまで、仏教にさっぱり関心のない人間でしたし。(;´∀`)
お寺にも特段の興味も持っていませんでした。それは大多数の若い(20~30代)日本人のごく一般的態度でしょう。
若者も仏教に関心はある
ヴィパッサナー瞑想は人気
といっても若者は仏教のよさが解らないことはなく、私がFacebookで出会う若者に、明らかにヴィパッサナー瞑想は関心が高い。興味あります!といわれることが多いです。
馴染みがない分、かえって日本の部派仏教に関心のない人でも受け入れ易いからではと思います。宗教より思想の印象が強い面もあり。私もそうだったのでよく解りますが、初期仏教は明快でシンプル、分りやすい。
ミャンマー、タイ等の外国へリトリート(瞑想合宿)へ行く人も多いですが、そもそも釈尊の教えに一番近いといわれる原点の仏教に、日本のお寺でもっとごく普通に親しみたいという潜在ニーズは相当あると感じています。
お寺で行われている座禅や写経のように、ヴィパッサナー瞑想を教えてもらえたら、という。
涙なしに読めなかった箇所
働く女性の普遍テーマ
本書には若い二人の挑戦、自営業が軌道に乗るまでのストーリー、子どもが出来てからの役割を巡るジェンダーの問題、家族からの自立と再びの調和など複数のテーマが走っており、読みごたえがあります。
読みながら涙が流れて仕方なかったのは、和公さんがよき母、よき妻の役割に忙殺されていく中で自身の個性を見失いかけ、もがく場面。
最初は夫も妻も「雅亮さん」「和公さん」と名前で呼ばれていたのに、お寺が軌道に乗りそれは「住職さん」「奥さん」になり、そして出産が決定打になったと綴る著者。しかし、夫の住職に直接尋ねることで、著者はそれが自分で作り出した妄想だったと気づきます。
夫はずっと私に「奥さんの仕事」だけに留まらず「坊守の仕事」をして欲しいと願っていたのです。いいえ、「和公の仕事」をして欲しいと期待していたのです。
(中略)
苦しみの原因は私自身にありました。「自分にしかできないことをしたい」そう現状への不満だけを口にしながら、「自分にしか提供できない価値」を磨いてこなかった。格好悪い人間が私でした。
女性の「存在証明」にありがちなこと
自己犠牲の罠
ここまで冷徹に自己批判しなくてもと思いますが(著者と夫の社会人経験値の差や子育ての心理的・社会的プレッシャー等を考慮すると、無理からぬ展開に見えた)、それを書ける偉い人だなあと単純に思うし、彼女の苦しみがとてもよく解るような気がしました。
長年、派遣社員だった私は常に裏方仕事に徹するしかなかったので。
自分のことを放置し、人の世話焼きにのめりこみやすいタイプのACである自分の傾向でもあります。その手の「己を無くし人の世話ばかりしている状態」のストレスがどれほど自分を蝕んでいくものか、今になると本当によく解ります。
好きでやっているのならいいけれど、自己犠牲やコントロールならやめるべきなので。線引きが難しいですが、自己犠牲しやすい人は要注意です。誰のためにもならない。
人は誰もが表現者
いのちの本質的な傾向
最近サイトやブログを始めて、より強くそう思うのですが、人間は何かしら
自分の個性を自然に出せる表現方法を持っていないと苦しくなる
のではないか。とにかくそういう生き物なのではないかという気がします。
アウトサイダーアートと呼ばれる、知的障碍のある人達の素晴らしい表現(大好きで分厚い画集を何冊も持っていた)や、趣味の手芸やキルトで見事な芸術作品を作ってしまう主婦の存在に、そういう感じがすごくします。
外で仕事を持っていない人の、行き場のないエネルギーが爆発しているような感じ。
葛藤を経て、著者は子供を週に3日預け、それまで夫の住職さんに任せていたと思われるお彼岸法要でお説教や、お参りの法話を始めたり、絵日記やミャンマー語仏教書翻訳など個性的な坊守活動を開始していきます。
単純にいいなあと思ったし、よかった!とも。私は未婚ですが、もがきつつ自分らしい生き方と母と妻を一身に引き受けていく和公さんに、自分を重ねて読んでいました。
自分の理想の生き方も見えた
ACからの一番の回復方法 = 夢に忠実な生き方
著者の生き方には私自身の色んな理想が詰まっていると感じました。
- 好きな人と結婚する
- 自営業を軌道に乗せる
- 自分自身の表現手段を持つ
- 全体で人と世の中の役に立つ調和的な生き方になっている
いいですね!!!
私自身が、己の無意識を明確化する機会になりました。
心の傷を治すだけでなく、自分の中の「何か」に気づき、人生で活かしていくことも広義の心の治療プロセスだと思いますが、そういう楽しさを感じ。
人間ドラマとしては、最初のお子さんが生まれて、疎遠になっていた父親(結婚に反対していた)が来てくれて、赤ちゃんを抱きあげて頬ずりという描写も涙滂沱でした。
起業や家族のストーリーとして読めます。お寺に興味のない方もぜひ。