2.仏教で幸せになる! 仏教=心の清浄道

苦なく生きるための教え

本当は役に立つ仏教

内観と共に、幸せになる方法としてぜひ知ってもらいたいことは仏教の智慧です。

6年前に仏教(しかも2500年前の最もクラシックなタイプ)に出会い、内観したり、ヴィパッサナー瞑想を続けながら分ったことは、仏教マジすごい(´∀`;)

「苦しみ無く」「生きるための」普遍的な方法で、一生かけ実践するにふさわしい。お坊さんやマニアだけのものじゃない。誰でも使え役立つツールです。

大きすぎ全貌がつかみにくい仏教ですが、ここでは仏教のもっともベースになる考え方を紹介します。知っておくと後のノウハウを行う意味が納得しやすいので、時間のある時に読んでみて下さい。

仏教の基本=無執着

無執着…欲望を中核とした人間観

仏教の基本的世界観

人間には生存への深い執着があり、それが核となり欲望にゆがんだ世界観を形成している。幸せになりたければ欲望をコントロールして、見え方のゆがみを正さなければならない。

そのためには執着をやわらげ、欲望から自己を解放しなければならない。この無執着を実現する道を「清浄道」という。

メッセージ

(幸せになりたければ)「執着をはなれろ」

そのためには

「心を浄(きよ)らかにしろ」

長い歴史の中で多くの「解釈」「宗派」が生まれましたが、それらは幹から伸びた枝のようなもの。根っこの大切さは変わりません。仏教は、上記を最も重要なメッセージとしていました。

世界中に多くの仏教がありますが、ここがそれらの原点(根っこ)です。

欲や執着をなくす=心が清らか

現世を望まず、来世をも望まず、欲求もなくて、囚われのない人、かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

この世の禍福のいずれにも執着することなく、憂いなく、清らかな人、かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがなく、歓楽の生活の尽きた人、かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

スッタニパータ 634,636,637

タイ版 ブッダの一生より

四門出遊・・・釈尊は王宮の東門を出て「老人」を、南門に至り「病人」を、西門に周り「死者」を見られ、また北門に出遊して「出家沙門」を見て、世のはかなさと「生老病死」の四苦から人間は逃れられない事を悟り出家する事を決意する。

四苦(生老病死)

ブッダ出家の動機は「生老病死」といわれ、特に死は最大のテーマでした。ブッダは出家修行し、一つの結論に達しました。

人間存在の根本には「妄執」(渇愛)があり、それがつる草のようにはびこって人格を形成している。その妄執の汚れを取り除かなければ幸せはない。

その実践が「清浄行」(=自己浄化の道)だというものです。

人の価値は行いで決まる

生まれによって〈バラモン〉となるのではない。生まれによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。

行為によって盗賊となり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。

世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。進み行く車がくさびに結ばれているように。

熱心な修行と清らかな行いと感覚の制御と自制と…これによって〈バラモン〉となる。これが最上のバラモンの境地である。

スッタニパータ 650,652,654-655

人間は行いによって良くも悪くもなると言い、ここでも「心の清浄道」が強調されています。このように仏教は自己浄化の道であり、それにはどうすればいいか説かれている教えです。

ブッダのことば―スッタニパータ

作者:中村 元 (翻訳)
出版社:岩波書店
発売日:1958/01
メディア:文庫本

この世に自分のものは何もない

「清浄行」実践の根拠としては、仏教のスローガンともいえる以下に表されます。

諸行無常(しょぎょうむじょう)すべては移ろい、変化し続ける

一切皆苦(いっさいかいく)この世の事はみな苦しみである

諸法無我(しょほうむが)一切のものは我ならざるものである

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)煩悩の滅した世界は、静かな安らぎである

「一切の形成されたものは無常であり苦である。一切の事物は我ならざるものである」と受取って生きる…やはり「執着をはなれろ」がブッダの教えの根本です。

「清浄行」の内容は、以下に具体的に述べられます。

諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪をなすなかれ

衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を奉行せよ

自浄其意(じじょうごい) ― 自らその意(こころ)を浄(きよ)めよ

是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― それが仏教だ

(七仏通戒偈)

悪いことはせず、いいことをして、自分の心を浄めなさい、それが仏教だ

よけいな執着を減らす「行」

自己浄化には、座禅や、写経、念仏、ヴィパッサナー瞑想などのがすべて含まれてきます。お坊さんに「行」が欠かせないのは解りやすいですよね。

それは在家でも同じで、坐禅や瞑想はメンタルヘルスの面からも理に叶っています。

このサイトでおすすめする内観は「強力なトラウマ・セラピー」ですが、仏教の文脈で行えば修行ともいえます。

なぜ心を浄(きよ)める必要があるのか

それにしてもブッダはなぜそれほど、執着を離れることを強調したのでしょうか。それはやはり、そのせいで人間が不幸になると見切っていたからだと思います。

かつての私のように、親を憎んだり、憎しみが自分に向かい自傷行為に陥ったり、過食やアルコールが止められなかったり。不安、劣等感や恐怖、嫉妬心、罪悪感、自己嫌悪、うつ病…。

メンタルの病には多くの症状がありますが、これらは仏教的に表現するとすべて何かへの思い込み・執着が強い状態で共通しているのです。

心が特定のことに執着し、とらわれている。

恐怖症の人は、恐怖心に執着している状態です。(好きだけでなく、嫌いも何かに執着していることは同じ)このように、

心が何かに執着=苦しく不幸な状態 

なんですね。

内観は心の清浄行の筆頭です。経験すると、ブッダの言っていた事は合ってるなぁと思います。憎しみや悲しみなど、とらわれが無くなると、心はとても軽く楽になるからです。

心からすべての幸せ(不幸せ)が始まる

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車を引く牛の足跡に車輪がついて行くように。

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。

ダンマパダ 1-2

ブッダの真理のことば・感興のことば

作者:中村 元 (翻訳)
出版社:岩波書店
発売日:1978/1/16
メディア:文庫本

心からすべてが始まる

ブッダは心からすべての幸せ(不幸せ)が始まるといい、心の在りようを重視しました。

仏教徒でなくても、人間の心事情はまったく同じです。メンタル系の症状全般に、私が強く内観をおすすめする理由はここにあります。

真反対のことを繰り返す意味

仏教の方法論

モノでも心でも、執着を減らすために、よく真反対の事をします。

金銭や物欲を減らすため、布施をする。(寄付など、持っている金品を与える)

自己執着を減らす負荷を脳にかける

内観で「お世話になったこと、してお返ししたこと、迷惑をかけたこと」を繰り返し思い出すことは、ふだん私達が本能的に使う脳の働きと真反対なんですね。

(人間は「自分が一番可愛い」ので、「迷惑をかけられたこと」を一番強く覚えており、上の三つはおろそかにしているため)

この質問の答えを何度も必死に探すと、それまでの思い込みが壊れる瞬間が訪れます。その時、ものの見え方が劇的に変わり、感動で心が変わるのが内観の仕組みです。